トーキョーニヒリズム
参謀
それは、静かな午前中の出来事だった。遠距離恋愛中の彼女が突然、東京の私の家に来たのだ。
一人暮らしをしている私の家は、ゴミや脱ぎ捨てた服が散乱し、とても人を呼べる状況ではない。
「こんな部屋で生活しているの?」彼女は驚いて言う。
「いや、来るって言ってくれれば、掃除もするのに。」
「じゃあ、私が来なかったらこのままだったの?」
高校時代から付き合って、私は大学進学に伴い上京した。彼女は地元静岡の大学に通っている。どうやら、彼女は私が大雑把でいい加減な性格を初めて知ったらしい。私は以前から、そのような節を見せてはいたのに。
「ほんと信じられない。」彼女は床に落ちているペットボトルをゴミ袋にヒョイヒョイと入れている。
「なんで、東京来たの?俺から静岡行ったのに。」
「いつもの静岡じゃ面白くないでしょ。また、近くを何となくドライブして終わっちゃうんだから。」
「まあ、そうだね。」
「だから、今回は私に東京を案内してほしくて」
「そういうことか。じゃあもっと早く言ってくれれば、お店とかも予約するのに。」
「そっか。」
彼女にも、大雑把でいい加減なところがある。それを彼女は自覚していない。私はそれを見て見ぬふりをする。決して腹の立つことではないし、ここで目くじらを立ててもどうしようもないと思っていた。
「じゃあもう行こうよ。」彼女はごみ袋の口を縛り、部屋の隅に置いた。まだゴミは散乱している。
浜松町の駅で、私たちは下車した。駅から出るとすぐに東京タワーが目に入った。曇天を突き刺す赤い鉄塔。近くで見るとどこか無骨な印象を受けた。
不意に気になったことがあり、私は彼女に尋ねた。
「あのさ、スカイツリーじゃなくて東京タワーでよかったの?」
彼女はあの武骨な鉄塔をスマホのカメラで撮りながら、
「うん、私東京タワーのほうが好きだもん。」
変わった女だと思った。しかし私は彼女のそんな風変りなところが好きだった。
東京に来て2年以上が経つが、私は一度も東京タワーを登っていなかった。そのことを彼女に言うと、彼女は喜んで
「じゃあ登ろうよ。」と返した。
東京タワーからの都心の眺望は、曇り空のせいか、何か活気や盛り上がりに欠けるものだった。むしろ、抜け殻のような空虚さが、私の心に冷たい風を吹かせた。私にはこの空虚さを感じる感性の所在が、本当に私の感性か分かりかねた。
彼女は楽しそうに、景色を楽しんでいた。「淳ちゃんの大学ってどっちのほう?」「東京駅って見える?」などを質問を私にぶつけてくる。私はそれを「あっち、いやあっちかな」と曖昧なことを言った。「どっち?」彼女は笑いながら言った。その笑いも、私の心に冷たいを風を吹かせる、何か恐ろしささえ感じさせるものだった。
東京タワーを後にした私たちは、地下鉄を乗り継ぎ後楽園に行くこととなった。
「地下鉄なんて久しぶり!」彼女は興奮しながら、電車内の吊り革に捕まっている。
私は夜にどこか良さげなレストランがないか探していた。後楽園からだったら、新宿か池袋か近場の飯田橋や神楽坂、丸の内へ行くのも手だ。私はスマホでそれを調べながら、地下鉄の時間を過ごした。
土曜日の東京ドームシティには小さい子どもが多かった。ちょうどヒーローショーが行われているせいか、アトラクション自体は混雑していない。アトラクションとは言っても、二十歳を超えた大学生が楽しめるものなのか。私は心配だった。
「どれに乗る?」私は周囲を見渡しながら言った。
「ん?乗らない。」彼女はつぶやいた。
「え、乗らないの?」
「うん、見てるだけで楽しいから。」やはり彼女は変わっている。時折流れてくるジェットコースターに向かって、手を振ったりもしていた。私はそんな彼女がただ単に変わっているように思えなくなっていた。彼女が青年から大人になったのではないかと思ったのだ。確かに私も、かつてはファミレスに何時間でも彼女とおしゃべりをして過ごしていたのに、今ではおしゃれなレストランを探している。私たちは大人になったのだ。
夕方になり、私は神楽坂に彼女を案内した。私もあまり馴染みはないが、迷子にならない程度には知っている。
「うわ~、東京っぽい。」石畳の道や外堀通りの様子から、彼女は分かりやすくワクワクする顔を見せている。大人の街、神楽坂に来てよかったと、私は素直に思った。
神楽坂のレストランとは言っても、そこまで高級な店ではなかった。大学生の背伸びにはちょうど良いレストランだった。ほかの客も同年代の若者も多く、固く構える必要もなかった。レストランの食事はオーソドックスな洋食で、凝ったフランス料理ではなかった。それでも、彼女は満足していた。最近あった話、バイトの愚痴、何から何まで話した。私は少し、高校時代を思い出した。
しかし1時間30分ほどで、「そろそろでようか。」と彼女が言った。
神楽坂の夜は涼しく、坂にはたくさんの人が往来していた。街の灯りは、東京らしさのようなものを感じた。
駅まで歩いている途中、私は彼女に尋ねた。
「今日は俺の家に泊まるの?」
「いや、新幹線まだあるから帰る。それとね…」彼女の躊躇する姿から、私は大体のことを察した。
「別れよっか。」
「だよね。」
街の灯りは、二人をどこかへ置きざりにした。