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SUMMARY

ここでは1年間にわたる講義を経て、膝小僧ペロペロ♪の彼らが何を考えたのか。これからどうするのか。彼らにとっての膝とは結局何なのか。その結論として、まとめた。キャンパスではなかなか姿を現さない彼らの生態を知る貴重な資料である。

KOSUKE YAJIMA

 皆さんもご存知のように膝というものは太腿と脛をつなぐ一つの関節であり、つまりは「点」であるとみなすことができます。一方で現在という時間もまた過去と未来をつなぐ一つの瞬間であり、「点」であると言えるでしょう。
 それはちょうど膝の曲げ方ひとつで足先の向きが大いに変化するように重要な役割を担っている地点、無数に枝分かれしている分岐点なのです。この度講義で扱ったSFというジャンルは、常にそんな現在という分岐点の指標足りえる存在です。未来の可能性をあらゆる角度から描き出し、現在という一点を照らし出してくれているのです。
 このサイトを見たあなたが、「SFは未来という無数の選択肢の一つを映すものかもしれない」とご理解頂けたなら、SFとは実質膝小僧を描いているに等しいのだと我々が証明する日も近いでしょう。

KENTARO INOUE

 SFと聞くと、これまで『Back to the future』のような科学的な空想を題材とした物語を思い浮かべていました。しかし、1年間の講義を受けて、その科学的空想の内実を知ることができました。科学の進歩のスピードによって、空想は空想でなくなってきています。そのため、ニューウェーブが唱えたとおり、SFとはSpeculative Fiction(思弁的小説)なのではないかと、私は考えています。人間の捉える現実のカタチが、曖昧になりつつあります。そこに、仮想を見せて現実を捉えさせるSpeculative FictionというSFへの見方やそのような作品がもっと増えることを願っています。

 そして、私にとって膝とは、夢と日常の間といったところでしょうか。膝が好きで膝に憧れを抱いていますが、一応私にも膝はありますし、人様の膝も容易に拝見することができます。そのため、膝は夢でありながら日常、もしくは日常でありながら夢なのです。まさにSFのようですね。

​YUTO OKUNISHI

​ 私は授業を受ける前までSFについてなんの興味もありませんでした。しかし、通年の授業を受け終わってみると、数々の先生のお話を聞くことでSFの多様さや奥深さについて知ることができ、SFについての関心も持つようになりました。AIの進化やタイムパラドックス、様々な問題に対する知見が持てて本当によかったです。

 また、これらの授業を通して新たな出会いを得ることができました。そう、膝小僧です。ジェンダーであったりサイボーグであったりと、膝小僧はすべてのSFのジャンルに通ずる全知全能の存在といっても過言ではないかもしれません。それは身体の一部でありながらも人間をはるかに超えてしまい神をも恐れぬ存在になってしまったことは間違いありません。

 そんなこんなで1年間膝小僧と向き合ってきましたが、最後はやっぱりペロペロしてやろうと思います。

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