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ファン、やめるってよ

 

​参謀

 

 

 

 ファンダムとは、ファンとそのファンによって形成された世界である。では、ファンがいることの長所とはなんであろうか。

まずは挙げられるのは、ファンの持つ生産力・経済力である。ファンは作品を購入し、その作品のファンを標榜し生きている。そうすることで、作品は瞬く間に世に広がってゆく。SNSに代表さるインターネット社会では尚の事である。その利潤は、作り手の稼ぎとして、新たな作品の制作への原動力となる。作り手を中心に、ファンは1つのサイクルを生み出しているのだ。

 

 

 そして、もう1つファンダムの長所(?)として特筆したいのが、「信仰」という点である。ファン文化、とりわけ多神教か無神論者の多い日本では「神」という言葉が氾濫しがちである。アイドルやタレントでも、特別な技を持つ人物でも、上手い対応でも、「神」と表現され、安っぽく、簡単に、軽く、祀り上げることができるのだ。この信仰によって、作り手は高いモチベーションで作品を制作できる。さらに、「神のしもべ」という表現で集約されたファンは、容易に作り手を信仰し、上に述べた利潤を生みだす。

 

 

 では、ファンの問題点とは何だろうか。

 

 まず、挙げられるのは作品の一様化である。作り手はファンの求める作品を作り続けなくてはいけないのだ。でないと、「神」は「神」でなくなり、経済的な損失を被るのだ。この一様化という問題と密接に関わるのが、「アンチ」の存在だ。「アンチ」は「神」と「神のしもべ」を攻撃し、その世界の破壊を目論む。作品の一様化によって、作品そのものが類型化され、「伏線の強引な回収」などと、叩かれる。ファンは自分の欲しい作品を「神」に求めるあまり、「神」と自分たちにとって、耳の痛いことになるのである。ここで1つ、そんな事態を回避する方法がある。それは作り手は「神」でないと知ることだ。「神」なら作品を自由に作り、思いのままに高い評価を得る。しかし、人間の好みとは、三者三様で、「神」の支持率が100%になることはあり得ない。

 

 

「神のしもべ」というアイデンティティを捨てて、作り手の自由を与える。そして、自分の好みを上手く変え、好きな作品を乗り換える。これが、ファンとアンチの争いを避ける方法である。

SCHEDULE画像提供:https://flic.kr/p/qFHrT​  PSGMAG.NET/flickr

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