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「ミームを育む人類―人工知能とSF―」    藤井大洋先生

​大将

 

 

「ミーム」とは元々リチャード・ドーキンスが1976年に『利己的な遺伝子』において生み出した言葉である。彼は遺伝子が進化する仕組みを考察したが、その過程で誕生した概念がミームだ。遺伝子は子孫へコピーされていく生物学的情報であるのに対し、ミームは文化を形成する情報、つまりは会話や人々の振る舞い、書物、慣例、教育、マスメディア等によって共有される社会的かつ文化的情報である。

 ミームが遺伝子のように人から人へコピーされていく際に、次第に変化していくことで文化も新たに形成され変化していく。

 

 遺伝子は生物を媒介としてコピーされ、その様子はしばしば生物が遺伝子の「乗り物」のようだと例えられる。しかしミームの場合この「乗り物」が生物(人間)である必要はなく、それにとって代わる存在がある。人工知能である。ミームは情報であるので、機械から機械へとコピーしていくことが可能であり、学習能力のある人工知能はその度に情報を「進化」させていく。もしも人工知能が人工知能を自立して作る、つまり自らを増殖させることを可能にした場合、ミームにとって人間は時代遅れの「乗り物」になるだろう。

 

 

 

 ここで講義で扱った課題について考えたい。その内容は「将来における人工知能の「身体」を現実の社会に見出し、その「身体」が人間から奪う役割を示せ」というものだった。

 私はこの課題において「身体」を人型アンドロイド、役割を社会的パートナー、つまりは伴侶と考えた。

 人工知能が人間と会話をする光景は現在珍しくない。例えば日本マイクロソフトの開発した会話プログラム「りんな」は、LINEのアカウントとして人間とコミュニケーション(のようにみえるもの)をはかる。その精度は現状では人間の役割を奪うとまでは言えないかもしれないが、人工知能はビッグデータの利用によって驚くべき成長を遂げる。そのスピードは必ず近い将来人間に違和感を与えないレベルに達する。また、人工知能による生活面のサポートもそのころには遥かに手厚いものとなっていると思われる。現在でもスマートフォンに目的地を告げるだけでその場所の情報や行き方およびその費用などを教えてくれるが、それらの機能が進歩すれば音声での指示一つでデータ管理できるものはほとんどすべて扱うことができるようになるだろう。

 さらに物質的な「身体」が与えられたいわゆるアンドロイドになると、データ管理のみならず物質さえも扱うことができるようになる。アカウント管理から炊事洗濯まで可能である上、手をつなぐことも抱きしめることも人間のように行うことができる。そうなれば感情的摩擦なし意思伝達が可能で、実生活における有用性も高い人工知能がいれば伴侶を必要としない人間も少なからず現れると私は考える。

 突拍子もない予測だと言う方もいるだろうか。しかしながら、人間同士の付き合いが苦手で伴侶を見つけられない人も多くいる世の中で、人間のために作られ貴方を献身的に支えるいわば理想の伴侶が登場したらどうだろう。あり得ない話ではないと私は思う。

 しかしそんなアンドロイドでも生殖は不可能である(子供型アンドロイドを開発することはできるだろうが)。よってこのような未来が訪れた場合は人類は絶滅への道を辿るのかもしれない。

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