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をんなという性

 

参謀

 

 

 

 

 私が今と異なる性であったら、一体どの様な人生を歩むだろうか。私は自分を男性であるという性自認がある。したがって、私は女性であるとしたら、何を考えるだろうか。

 

 

 この私が女性であったら、それはさぞ美しい女性だろう。そして、賢しく、良識をわきまえた女性であると想像できる。そして、女性としての生き方を知っている女性であるに違いない。

 故に私は、社会的な地位が高く、経済力も十分にある、見た目も凛々しい、会社員の男性と結婚できるだろう。私は専業主婦として、家事に取り組むのだ。何かやってやろうという夢や野望などない。外からは平凡な主婦に見えるのだろう。淡々と家事をこなし、後は家でテレビを見て、一日を過ごすのだ。

子どもは決して欲しがらない。子どものせいで「日本死ね。」などとは思いたくないからだ。それでも、少子化を是正するためにも、出産と子育てを奨める空気がある。私はその空気をせせら笑いでやり過ごす。「自慰とお金を発明した時点で、人間は滅びる運命なのよ。」といった様子で…。

 したがって、子どもはいないが、夫との情事はある。それも真夏の夜のように熱い情事…。ただし、浮気などはしない。どんなドラマを見ても、私の美徳は清らかさを保ったまま、全くよろめく気配すら見せない。

 世は女性活躍社会。女性の積極的な社会進出が求められる時代。それでも私は家で大人しく生きてゆくのだろう。

 

 

 そして、私は嗤うのだ。同じ性を。自立をした人間から初めて見える醜い部分を。おそらく、陰気を帯びた、寒々しい、それでも美しい嗤いだろう。

 レディーファーストでないと怒る女性。優先されるというのは、弱いということだ。おごってもらわないと気が済まない女性。彼女たちは、女性は経済力を持たなくてよいと考える矛盾に満ちた存在だ。自信を持って、女性の権利を求める女性たち。彼女たちは手にした権利を手にした時、あの気高い意志をまとった自信は何に変わるのだろうか。

 私は彼女たちを嗤い、「ああはなりたくないわ。」と時代遅れに女言葉を使う。「撫子の花は小さく咲くからこそ美しいの。」屹度、こんな口癖を唱えることでしょう。

皮肉家で、厭世家でありながら、保守的な生き様をとことん愛する。そんな矛盾を抱えた女に私はなるだろう。

 他人から見たら、つまらなそうな人生かもしれない。しかし、ささやかな、幸福の糸をたどるように生きているので、ちっともつまらなくない。

 スーパーに珍しい果物があれば、買って夫と食べようと楽しみにする。夜、スポーツニュースを見ながら、その果物を食べる。「あんまり美味しくないね。」と二人で笑いながら話す。

 可愛らしいサボテンに水を与るべきかどうか、夫とサボテンを見つめながら話し合う。

 私は安部公房の小説を薦めると、夫は有島武郎の小説を薦める。二人の熱弁が家全体に響き渡る。

 私はこれら部屋に響く、笑い声、話し声を少し悲哀も混ざった幸福を噛み締めるのだ。

 

 

 仮に、万が一だ。私が醜い女性だとしたら、どういう生き方をするだろうか。

 結論から言うと、二十歳ごろまで生きて、早々に自殺するだろう。せめて二十歳まで、美しくなろうと、努力するが、途中であきらめるのだ。

 ただ、そのまま死ぬのはつまらないので、ちょっとした遺書でも残すだろう。

    遺書

 

 お父様、お母様、そして、私を知っている人。

 

 私は〇月×日をもって、死ぬこととしました。

 私なりに、考えに考えた末の行動です。皆様は、後悔しないで下さい。

 私は決して、いじめられていた訳でありません。勉強がうまくいかないわけでも、失恋をしたわけでも、かの文豪のように、ぼんやりとした不安を感じるわけではありません。

 では、私は何故死ぬことにしたのか。長々と説明させて頂きます。

 

 今、この国は、一億総アイドル社会。自分の外見を自尊心の船に乗せて、世界のふりをしたデジタル社会の海を漂わせる。リアリティの失われた世界で、信じられるのは自分の外見しかなくなってしまいました。自分の第一のファンは自分でありながら、一応他人のファンでもあるのです。

 SNSはパフォーマンスの場です。自分の顔を晒して、自分の知らない所で、誰かと誰かが自分の顔を見て、点数でも偏差値でも、上の下だの、下の中などと偉そうに評価する。当たり前です。客に自分を見せて、評価されるのは、アイドルのすること。

 SNSで現われない人間は、まるで戸籍がないような扱いを受けます。もっとも、戸籍など要らないのですが…。

 そして、私はアイドルなんかじゃない。私は偶像になることは嫌で嫌でたまらなくなりました。私の自尊心の船は、もともと錆びた貧相な船でした。航海中、大海原で燦々と降り注ぐ太陽が、むしろ船を静かに破壊したのです。真夏の太陽の光が、冷たい氷をみるみる溶かしてゆくのと裏腹に、私の陰鬱さは増大しました。自尊心の船など、最早どこの海で沈んだかもわからない…。

 

 私が美しくない代わりに、周りは皆揃って美しかった。

 私の外見に美しさのない代わりに、知性においては、崇高な美しさがあった。

 私の生に美しさのない代わりに、死には華々しい美しさを与えたい。

 

 だから、私は死ぬのです。この社会では、私のような人間は生きてゆけないのです。それは、醜い人間という意味ではありません。醜いだけでなく、これまで美しいものを沢山見てきた、賢い人間です。死を否定する社会には、老いた醜さしか残りません。

 

 皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

〇月×日       ××××

SCHEDULE 画像提供:https://flic.kr/p/hiLHQk、Department of Foreign Affairs and Trade/flickr

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